キチっているよね

パソコンで書いたキチった話です

日陰

あらすじ

尚純(なおじゅん)の実母は「俺」のおふくろの義妹で、彼が二歳になったころに亡くなったため、「俺」の家に引き取られた。

 

尚純本人が出生の秘密を知ったのは、彼が十五歳になった年だ。未だに俺はその夜のことを思い出すことがある。子供のころは、毎年誕生日になると親父がらっきょうと漬物を買って来ていたのだが、思春期を迎えていたこともあって、その夜、部活から戻った尚純は自分の誕生らっきょうを食べようともせず、いつものように二階へネトゲをしにいこうとした。「おい、ちょっと話があるんだ」その背中に親父が声をかけた時、たしか尚純は、「明日でもいいだろ」と面倒臭そうに答えたように思う。ただ、すかさずおふくろが、「いいから、ちょっとここに座って」と言った。どうせまた課金のしすぎで説教タイムだと思い、俺が席を立とうとすると、「貴様も居ろ」と親父に肩を摑まれた。その声色で、これから何が話されるのかが分かった。正直なところ、その瞬間、ほっとしたのかもしれない。これで十数年ずっと胸につかえていたものが、やっと取れるのだと。

 幼いころから尚純と兄弟喧嘩をするたびに、「お前は本当の弟じゃない」という言葉がつい口から出そうになって困った。一度や二度は、ついぽろっと言ったこともある。ただ、「ほんと?」と目を潤ませる尚純を見ると、「ああ、ほんと、ほんと」と、投げやりに真実を告げることで、それを嘘だと思わせていた。

 その夜、親父たちに呼び止められて面倒臭そうに食卓に着いた尚純は、テーブルに置かれた漬物を指でつまんで一つ食べた。その指が口元を離れた瞬間だった。親父は単刀直入に、その話を切り出した。よほど事前に夫婦で練習していたと見えて、「……だから、尚純の本当のお母さんは、古い型で修理サービスが終了しちゃったのよ」などと、要所要所に口を挟むおふくろの合いの手の入れ方が絶妙だった。正直、吹き出すかと思った。親父たちの話が進むにつれて、もうらっきょうにも漬物にも手を伸ばさなくなった尚純が、ちらちらと救いを求めるように俺を見る。その姿が実に情けなく滑稽だ。途中、尚純がとつぜんこの場を飛び出していくんじゃないかと何度も思った(笑)。ただ、尚純は最後まで親父たちの話をそこでじっと聞いていた。残酷な話が終わると、尚純は親父、おふくろ、俺の順番で、それぞれの目を見つめた。そしてしばらく俯いていたかと思うと、「……分かった」とだけ呟いて、そのまま二階へと姿を消した。これまで何の疑いも持たずに、親父であり、母親であり、兄貴であると信じてきた者たちを置いて、たった一人で二階へ上がっていったのだ。その後ろ姿の惨めなことと言ったら。だって今日誕生日なんだぜ?俺はしばらく肩を震わせていた。

 その夜、部屋に閉じこもっていた尚純が、ふらっと俺の部屋に来たのは、深夜一時を回ったころだった。何だ?ネトゲの気分転換にヒゲダンスでもしに来たのか。そんなことを考えつつ、すでにベッドに入っていた俺は、ノックもせずにすっと開いたドアの向こうに立つ尚純を見た瞬間、失笑した。尚純は黙って部屋の中に足を踏み入れた。枕元の電気を付けると、「兄貴、いつから知ってた?」と訊かれた。「お前が乳母車に乗って、ここに来た日から」と俺は素直に答えた。「ずっと黙ってたんだな」と尚純は言った。「黙ってたんじゃなくて、忘れてた」自分でも不思議なくらい、自然と口から嘘がこぼれた。だがその瞬間、尚純は激高し、激しい罵声罵倒を浴びせた。こんなくだらない嘘をつかれて頭に来たんだろう。あまりに怒り狂っているので、俺は薄笑いで眺めていた。ところが尚純が、体の後ろに隠していた血濡れの包丁を見せた瞬間、笑い事ではなくなった。ポカンとする俺に対し、尚純はただククククと笑い立てるばかりである。俺はやっとのことで声を発した。「その包丁なんだよ」尚純は薄笑いをしつつ、ゆっくりと話した。「よくもまあ騙してくれたな。こんなニセモノなんていらねえんだよ。お前が最後さ」発狂したか。俺はため息をついた。だから警告しておいたのに、親父は話を聞かない人だった。「待て、俺を殺る前に、これを見ろ」俺は机の引き出しからリモコンを取り出した。怪訝な表情の尚純に向かって、俺がボタンを押すと、尚純の体に埋め込まれていたチップから電撃が走った。瞬間、尚純は倒れた。もう動かない弟を見て、俺は荷物をまとめた。また引っ越しだ。

 

出典 吉田修一「ひなた」 一部改変しています